10月24日
「SWEET BAKERY Pa Pain」で買ったパンを持って
「浅間山公園」に行きました
浅間山公園は、浅間山(堂山)・中山・前山の3つの山から成り
浅間神社・御手洗神社・人見四郎の墓などがあります
「ムサシノキスゲ」という、絶滅危惧類のユリ科の黄色い花が有名で
浅間山公園にだけ自生する珍しい花みたいです


浅間神社入り口
他にも神社に続く道がありますが
正門から入りました
けっこう急な階段が続きキツかったです
浅間神社 とっても小さな可愛らしい神社です
標高は約80mでそんなに高くありませんが
周りに高い建物がないのでけっこう高く感じます

木が生い茂っているので見晴らしはあまり良くありませんが
木の隙間からちょこちょこっと町並みが見えました

あずま屋があったのでそこでパンを食べました
前記事「SWEET BAKERY Pa Pain」に食べた感想など載せました
すごく美味しかったので、パクパクパクパクっと
あっという間に食べてしまいました( ; ̄ω ̄)ゞ
この日は少し肌寒かったですが、自然の中で美味しいパンを食べ
持参したホットティーを飲んで、とても贅沢な時間でした



なぜか走っている
すごい山の中に来たみたいな錯覚におちいります



野鳥の数にビックリ(・ω・;)ノノ


今は秋で調度
スズメバチの繁殖時期なので
気をつけないと
関東の富士見百景みたいですが
この日は曇りでぜんぜん見れませんでした

人見四郎の墓跡
鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した
人見四郎の墓跡がありました!
この地域は昔、人見村と呼ばれ、現在でも旧人見村の中心を
人見街道が通り浅間山の南側麓には、人見稲荷神社も鎮守しています


水手洗(おみたらし)神社
どんなに日照が続いても枯れる事がなく、干ばつの時にはここで雨乞いが
行われ、江戸時代にはこの湧水が万病に効くと言われ、霊水を汲みに来る人が多く「おみたらし」と呼び、石の祠が祀られたそうです


府中の名木百選「おみたらしのイヌシデ」


歩道は場所によって、コンクリートの道や木の道などあって
綺麗に整備されていました


野草達の名前を調べてみました
左:「ガマズミ」
赤い実がなる植物は、ピラカンサ・南天・千両・万両・ナナカマド
とたくさんあるみたいですが…
枝の感じと丸っこくてちょっとギザギザになってる葉っぱの感じから
ガマズミだと思いました
右:「山白菊(白嫁菜、田舎菊)」
「白山菊(婿菜)」という似た野草もありますが、花びらの数が多いので
山白菊だと思いました


左:「アザミ」紫色がキレイです
右:一生懸命調べましたが、結局分からず…残念



大きな女郎蜘蛛
多磨霊園と浅間山を結ぶ吊り橋、キスゲ橋
橋に、ムサシノキスゲが描かれたレリーフがついていたので
キスゲ橋という名前がついたのかなと思いました

南北朝時代の1352年(正平7年)、新田義貞の息子である
新田義興・義宗の兄弟が浅間山周辺の人見原(ひとみがはら・府中市)と
金井原(かないはら・小金井市)で足利尊氏と対戦し
尊氏はここで敗北したそうです。。
歴史上で有名な人達が昔、 浅間山へ来ていたなんて…
なんだかすごいなぁと思いました


昔この辺りは戦場だったのに
のん気にツーショット
…
平和な時代に生まれてこられ
良かったなぁと再確認しました
「SWEET BAKERY Pa Pain」で買ったパンを持って
「浅間山公園」に行きました

浅間山公園は、浅間山(堂山)・中山・前山の3つの山から成り
浅間神社・御手洗神社・人見四郎の墓などがあります

「ムサシノキスゲ」という、絶滅危惧類のユリ科の黄色い花が有名で
浅間山公園にだけ自生する珍しい花みたいです

浅間神社入り口

他にも神社に続く道がありますが
正門から入りました

けっこう急な階段が続きキツかったです

浅間神社 とっても小さな可愛らしい神社です

標高は約80mでそんなに高くありませんが
周りに高い建物がないのでけっこう高く感じます

木が生い茂っているので見晴らしはあまり良くありませんが
木の隙間からちょこちょこっと町並みが見えました

あずま屋があったのでそこでパンを食べました

前記事「SWEET BAKERY Pa Pain」に食べた感想など載せました

すごく美味しかったので、パクパクパクパクっと
あっという間に食べてしまいました( ; ̄ω ̄)ゞ
この日は少し肌寒かったですが、自然の中で美味しいパンを食べ
持参したホットティーを飲んで、とても贅沢な時間でした


なぜか走っている

すごい山の中に来たみたいな錯覚におちいります


野鳥の数にビックリ(・ω・;)ノノ
今は秋で調度
スズメバチの繁殖時期なので
気をつけないと

関東の富士見百景みたいですが
この日は曇りでぜんぜん見れませんでした

人見四郎の墓跡

鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した
人見四郎の墓跡がありました!
この地域は昔、人見村と呼ばれ、現在でも旧人見村の中心を
人見街道が通り浅間山の南側麓には、人見稲荷神社も鎮守しています

水手洗(おみたらし)神社

どんなに日照が続いても枯れる事がなく、干ばつの時にはここで雨乞いが
行われ、江戸時代にはこの湧水が万病に効くと言われ、霊水を汲みに来る人が多く「おみたらし」と呼び、石の祠が祀られたそうです

府中の名木百選「おみたらしのイヌシデ」
歩道は場所によって、コンクリートの道や木の道などあって
綺麗に整備されていました

野草達の名前を調べてみました

左:「ガマズミ」
赤い実がなる植物は、ピラカンサ・南天・千両・万両・ナナカマド
とたくさんあるみたいですが…
枝の感じと丸っこくてちょっとギザギザになってる葉っぱの感じから
ガマズミだと思いました

右:「山白菊(白嫁菜、田舎菊)」
「白山菊(婿菜)」という似た野草もありますが、花びらの数が多いので
山白菊だと思いました

左:「アザミ」紫色がキレイです

右:一生懸命調べましたが、結局分からず…残念

大きな女郎蜘蛛

多磨霊園と浅間山を結ぶ吊り橋、キスゲ橋

橋に、ムサシノキスゲが描かれたレリーフがついていたので
キスゲ橋という名前がついたのかなと思いました

南北朝時代の1352年(正平7年)、新田義貞の息子である
新田義興・義宗の兄弟が浅間山周辺の人見原(ひとみがはら・府中市)と
金井原(かないはら・小金井市)で足利尊氏と対戦し
尊氏はここで敗北したそうです。。
歴史上で有名な人達が昔、 浅間山へ来ていたなんて…
なんだかすごいなぁと思いました


昔この辺りは戦場だったのに
のん気にツーショット


平和な時代に生まれてこられ
良かったなぁと再確認しました

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